中国史で咸陽とは?
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咸陽について
咸陽(かんよう)は、中国陝西(せんせい)省の西安から北西に位置する、渭水(いすい)北岸にある都市です。紀元前350年から秦の国都として知られています。始皇帝による統一後、ここには天下の富裕層の12万戸が移住し、繁栄を極めましたが、秦王朝の滅亡時に焼かれてしまいました。現在の町は、秦滅亡後に西へ約10kmの地点に位置し、明朝初期以降に発展したものです。
中国史で咸陽とは?
咸陽(かんよう)は、中国陝西(せんせい)省の西安から北西に位置する、渭水(いすい)北岸にある都市です。紀元前350年から秦の国都として知られています。始皇帝による統一後、ここには天下の富裕層の12万戸が移住し、繁栄を極めましたが、秦王朝の滅亡時に焼かれてしまいました。現在の町は、秦滅亡後に西へ約10kmの地点に位置し、明朝初期以降に発展したものです。