三内丸山遺跡はなぜ滅亡したのでしょうか?

三内丸山遺跡はなぜ滅亡したのでしょうか?

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三内丸山遺跡の滅亡の理由

三内丸山遺跡が栄えた約5000年前は、現在に比べて気温が約2.0℃高く、栗の実なども豊富に実っていました。しかし、4200年前に突如として気温が2.0℃低下し、寒冷化が進んだため、人々はこの遺跡を放棄して散り散りになりました。この時期、東アジアの他の文明も乾燥や寒冷化の影響で衰退を余儀なくされました。今世紀末までに気温が約2.0℃上昇すると、農業や林業、水産業に深刻な影響が出る可能性があります。