マケドニア朝はいつ滅亡しましたか?
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マケドニア朝滅亡の経緯
1054年には、コンスタンティノポリス教会とローマ教会が完全に分離し、いわゆる大シスマが発生しました。この結果、西欧との関係は著しく悪化しました。さらに、1056年に女帝テオドラが亡くなり、翌年には彼女の養子であるミカエル6世ストラティオティコスが反乱によって政権を失ったことにより、マケドニア王朝は断絶に至りました。
マケドニア朝はいつ滅亡しましたか?
1054年には、コンスタンティノポリス教会とローマ教会が完全に分離し、いわゆる大シスマが発生しました。この結果、西欧との関係は著しく悪化しました。さらに、1056年に女帝テオドラが亡くなり、翌年には彼女の養子であるミカエル6世ストラティオティコスが反乱によって政権を失ったことにより、マケドニア王朝は断絶に至りました。